漫画を描く楽しみ

漫画を描いていて楽しいことといえばまっ先に多くの人は絵を描くことを思い浮かべるでしょう。

長年仕事をしていて漫画を描くことに飽きないのは、1つの作品が出来上がるまで
様々な作業が同居することにあるんじゃないかと最近思うようになりました。

まず、漫画の設計図であるネーム(絵コンテ)作業ですが、これは単純に考えるとお話を作るにあたって散らかっている数字を整理してまとめていく作業に近いような・・・
伝記漫画の場合、資料を読んで、この人物がどういった人なのかや、生育背景、どこがこの人のポイントになるのかなど、渾沌とした状態を整理して順序だてていく。
ただ整理するだけじゃなく、ストーリーとして一番効果的になるように計算して(数式をたてる作業)整理していく。
(普通の漫画だと精神面で違っていきます。もっとアドレナリンが出る)
もちろん読者が途中で飽きないように、そして理解できるように考えます。
この時の頭の状態は数式を解いているのと似ている気がします。
その上、ネームはストーリーを考えながらコマ割り、ページ配分、構図なども考えながらやるので、二重の頭脳労働なんです。

この作業が頭脳労働で疲れるのですが、ネームの後半になるにつけて作業が早くなっていくのは、まとめる作業が進んで計算するものが残り少なくなるから。

この<考える=数式を解く>っていうのは、何も漫画の構成だけじゃなくて、普段の何気ない仕事にも通じていると思います。
<数式を解く>っていうのは、複雑な数式をどんどんまとめて整理して答えを導く作業のことを指しますが、
主婦だったら決まった時間内にこなさなければいけない家事(答えの部分)の段取りを考えて(数式をたてる)、様々な家事を同時進行でこなして(計算)いきます。
ねっ、計算と似ているでしょう?





で、このしんどい作業が終わったら
納得いくまで推敲してネーム(設計図)を完璧にしておきます。
家を建てるのと同じです。途中で建て直しなんて大変な作業になりますからね。

ネームが出来たら下書き
やっと頭脳労働から解放されて楽しいお絵書きを堪能する段階に入ります。
この時、私はただ絵を描く楽しみだけでなく、「その人物になり切って」絵を描いています。
つまり「役者」としての楽しみがここにあります。

イヤな人間、ごついオッサン、儚気な美女、子供、何でもござれです。
思わず涙目になる時もあり、「漫画家って役者をやってもそれなりにできるんじゃなかろうか。」と思うこともしばしば。
動きのあるシーンでは絵と自分の筋肉の力の入り具合がシンクロします。
ですので描きながらあらぬ所がピクつくこともあります。

そしてワタシにとって一番のお楽しみがペン入れ
これはスポーツをしているのと同じで、絵に集中して自分のイメージするように作品を完成させていく作業。一種の快感を伴います。 
この作業に快感を感じる人が絵を描く仕事を選んでいるんじゃないでしょうか?

ーーーということで、ざっとまとめてみると
ネーム→頭脳労働。映画監督の立場。
下書き→イメージを紙に定着させる。役になり切る。
ペン入れ→イメージを完成させる楽しい作業。表現活動の快感。


なんか上手い表現ができなかったけど、毎度これだけバラエティがある作業をしているわけです。
「漫画を描く」と言ってもこれだけの段取りがあって、それぞれに違う楽しみがあります。このへんが飽きずに仕事できるポイントなんじゃないかと思います。

今月の伝記漫画はチャップリンをとりあげましたが、彼は
「俳優」「脚本」「監督」「演出」「音楽」の全てを自分で担当、コントロールしました。
漫画は映画一本作る作業を、やろうと思えば自分一人でできるんです。
よく「漫画は総合芸術だ。」と言われますが、ただ絵が描ければ済むというものじゃないんです。
それぞれのパートも奥が深く、決して簡単に満足できる仕事じゃないです。
しかも自分では良いと思っても、読者が良いと言ってくれないといけないサービス業です。
自己満足ではいけない。だからとっても難しい。
by mieru1 | 2008-04-29 23:46 | 漫画を描くこと | Trackback | Comments(4)
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Commented by yosi at 2008-04-30 04:42 x
かってマクルーハンはマンガはクールであるといいましたが、
実際そんな制作過程なんですね。
小説家の中にはぶっつけ本番で最初の一行から書き始める。という人もいますが、
マンガの場合はそれができないんですね。
ただふと考えると大中小の駒というものがあるから段取りをとらないと(ネームを作らないと)できないんですが、
漫画家さんの中には常に同じ大きさの駒を使う人もいて、そんな人はやろうと思えば小説家のようにぶっつけ本番もできるのかもしれませんね。
素人考えで失礼しました。
Commented by magellanica at 2008-04-30 07:15 x
自分はネームと下書きがほぼ同じでした(苦笑)
ネームの段階で、みえるさんの言う「役に入る」ことが出来ないと描けませんでした・・・
普通に一枚絵描く時より、マンガ描くとアタマの疲れ方が違いますよね。
楽しいんですけど、もう後でグッタリします。
Commented by mieru1 at 2008-04-30 13:50
>yosiさん
石田衣良も一発書きだそうですね。
短いページ数ならまだしも長編でこれができるというのは、ある意味自信家なのかも。

漫画の場合、編集者のチェックが入りますから、なかなか一発でOKということもないと思いますが、時と場合でしょうね。
「サザエさんうちあけ話」によると田河水泡先生は始めと最後のコマを描いて中身を考える手法をとっていたとか。(毎度この方法じゃないと思いますが)
私の場合、仕事先の編集部が漫画専門ではないので、自分で責任を持ってネーム作りしなくちゃいけないんですよ。
でも学習漫画の場合、段取りをふまえ考え考え描くので一発書きに近い時もあります。
Commented by mieru1 at 2008-04-30 14:42
>エビスヤさん
ネーム段階で感情移入するのは良いのじゃないでしょうか?
そのほうがネームも生き生きとしてくるわけだし。
このエントリーではいつもやっている学習漫画をイメージして書いてますが、オリジナルの時はアドレナリンが出て思わず吠えそうになることもあります・・・・(汗)

伝記漫画はページ数も少ないし、感情表現のコマがほとんど入らないので、今一つ一体感がないんだけど下書き段階になると具体的に表情やポーズを書き込むから、やっとキャラクターと同じ気持ちになれるんだと思います。

伝記漫画は終わりまでの流れは自分で変えられないので、ページ数を考えながら取捨選択しながら描くので今一つ入り切れませんね。
でも普通の漫画のときも、読者はこの描写でわかるだろうか?と客観的に見ている自分がいます。
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