子供の頃馴染んだ記号的な漫画絵。
そのせいか、どうしても自分の描く絵が押し花のように平面的であった。 それなりに長い間漫画を描いてきたのに、自分が一向に上達していないと痛感したのが かつてコミック○ンチに投稿した陸上漫画を描いた時だ。 青年誌用に、しかも短距離走者を描くには漫画的なデフォルメは似合わない。 そこでリアルな肉体を描かなくてはいけないのだが、甘く見ていた。 動きのある絵が得意だと思っていたのに、全然思うような絵が描けない。 その時初めて自分はそういう「基本的な」キチンとした絵が描けないと思い知った。 つまり今まで落書きちっくな漫画絵で誤魔化していたのだ。 ネームは自分の気持ちの入ったものになり、キャラクターもとても気に入った。 が、肝心要のスポーツマンの身体や走る絵が全然ダメ。 仕方ないので陸上雑誌を参考にしながら絵を描くのだが、自分の描きたい構図通りの写真がそうあるわけもなく。 「ひざの絵はこの写真から。上半身はこっち。」と、1つの身体を切り張りしているような感じに。 さらにわからない時はJ・シェパード「やさしい美術解剖図ーー人物デッサンの基礎」から調べる・・・・・ この時、「本格的に人体デッサンの練習をしておけば、あらゆる角度、動きも自由自在に描けるのに。 そして1つの人物を描くのにこんなに時間がかかることはないのに。」 と、もっと真剣に人体を描く練習をしなければいけないことを痛感した。 基本さえ押さえれば、どんな身体も描く技術がつく。 そうして出会った本がルーミスの「やさしい人物画」だ。 知らなかったのだが、かなり有名な本らしい。 大学時代、私はジャック・ハムの「人体のデッサン技法 」を持っていたのだが 自分の実力的に言って、まず最初にルーミスの本に出会いたかった。 ジャック・ハムの本は私にとって「木を見て森を見ず」という頭を作ってしまったからだ。 ルーミスのどこが良かったかと言えば 身体をブロックでとらえる考え方だった。 ちょうどミクロマンをバラバラにした考え方。 この「ブロックで考える」というのが「人体を立体で描く」見方に役立つと思う。 ルーミスの次の言葉にとても共感した。 ブロックで大まかに形を描いて、光と影を最も単純な形にし、思い通りの完成度にしてみよう。簡単でも鋭い言葉のほうが、しゃべりすぎるよりはるかにましなことを思い出しなさい。 解剖学を学ぶのは第一に単純だが説得力のある形を作り上げる手がかりを得るためである。今度は人体模型や石膏像が手がかりになろう。この段階では難しすぎたら、陰影のことはあまり考えずに大きなブロックのような形を描いてみよう。 どんなものでも形を感じるように努めることである。 目標は「平面から立体の世界へ出て行く」ことなのである。 ルーミスの本にはこの他にも絵を描く人に向かって叱咤激励の言葉が並ぶ。 そのどれもがうなずけるものであり、本当に初めにこの本に出会っていたならこんなに遠回りしなくても済んだのに・・・と後悔した。 ーーー月日は流れ、最近やっと「輪郭で物をとらえる」頭から解放されつつあるように思える。 前はアンバランスだった身体も、よくわからなかった肩から胸への筋肉の隆起もわかるようになってきた。 立体でとらえるようになると、まず影の部分を描きたくなる。 そして描きながら迷うことも少なくなってきた。 それと同時に絵が上手いと思っていた漫画家でも案外デッサンが狂っていることに気付くときもある。 でも「漫画なんてそれらしく見えていれば充分なんだ。」と思う。 あまりにデッサンや本物に忠実になりすぎると絵が硬くなり、生き生きした表現や楽しさから遠ざかるからだ。 だからと言って今まで自分がしてきたことが無駄とは全然思わない。 それは自分にとって「財産」になる。 むしろ基礎を抑えてどんな漫画絵に変化していくのか楽しみにしている。 平面的な記号絵→デッサンを「考えながら」描く硬い絵→大分迷いなく描けるようになった(今ココ)→迷いなく何でも描ける →漫画的にデフォルメ、簡略化 こんなふうに自分の絵が進化していくといいな。 結局自分の最終目標が「記号的な漫画絵」に戻っていくのが面白いな、と思う。 「タンタン」のエルジュやスキャリーおじさんみたいに、基礎が描けて上手い人が簡略化しているような絵がいいな。 そこに松本かつぢみたいな柔らかさががあるといい。 白黒のコントラストや線の省略には村野守美先生を目指したい。 (どの人も上手くって手が届きそうにないが) ということで、理想の漫画絵をイメージして絵を描く練習をしています。 >>追記 漫画家を目指している人が何人見ているかわからないけど、絵が上達するには 「ただ闇雲に沢山絵を描けばいい」んじゃなくて、「本物を見て描く」のが一番早いと思う。 「あれはどんな形だっけ?」と想像するより実物を見た方が早い! 今書いたように、自分の好きな漫画家の真似をして上手くなったつもりでも、その上手さは借り物の上手さ。 あと得意な絵ばかり描いていてもそこから上には行きません。 それはいつまでたっても足し算の練習をしているようなもので、苦手な物も描くのが応用力をつけるポイントだと思う。 ーーー以上、遠回りしてきた漫画家の考えです。
by mieru1
| 2008-04-28 16:43
| 漫画を描くこと
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Comments(4)
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magellanica
at 2008-04-28 19:49
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この本、私もつい先日買いました。
何のと言って、結局自分も理屈は解らず勢いだけで描いていたので 見ていてかなり面白い本でした。
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mieru1 at 2008-04-29 22:01
> magellanica さん
ヱビスヤさんくらい描ければ充分だと思いますが、それでも参考になることがあったんですね。 私はずっと頭の中に赤塚不二夫や藤子・F・不二雄の絵が染み付いていたので、ここから立体に頭を切り替えるのにえらい時間がかかりました。 でも子供にとって取っ付きやすくて似顔絵を描きやすいのは、こういった漫画絵なんですよね。(理想と矛盾)
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magellanica
at 2008-04-30 06:46
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赤塚先生や藤子先生のマンガって、「キャラクターデザイン」よりも
むしろコマ割りの関係(?)でか、画面構成の方が平面的で、複雑な角度の構図ってあまり出て来ないので そんな気がするのかもしんないですね。 デフォルメの方がやっぱり難しいと思います。 だから、基礎ができてないヒトのデフォルメってバランスがおかしかったりしますよね。 マンガ絵になってくると、デッサンよりもバランスが大事なんだろうな、と個人的に思ってます。 基礎がしっかりしてないと、バランスが上手く取れないので、そこでデッサン力がモノを言うのかも知れませんね・・・
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mieru1 at 2008-04-30 14:59
> magellanica さん
藤子漫画などの画面構成は人形劇に近いと思います。 単純にデザインされたキャラクターが全身入って、一発でどこに誰がいて何をしているかわかりますよね。 子供漫画にふさわしい絵柄なんでしょうね。 >>マンガ絵になってくると、デッサンよりもバランスが大事なんだろうな、と個人的に思ってます。 なるほど、そうですね。 私もキャラもので何かピリッとした絵にならないなぁ、と思う時はだいたいそういうメリハリが付いていない時ですね。 きちんとした身体を描くことに気がいって全体のバランスを見ていないんです。 自分の場合、子供向けの漫画絵は顔を描いてから下の順に描いていたので、その習慣が全体を見る目を奪っていたように思います。
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